「機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY」について少々意見を述べさせてもらいます。
ガンダムを知らなくともネットでも見たことがある人が多いと思う文字、
「ソロモンよ私は帰ってきた」
このセリフが出てくるアニメが0083になります。
このアニメは時代によって価値観が変化してきた物語… 政治色の濃い内容のアニメであり、個人的にも人生に大きな影響を与えたアニメとなっております。
「機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY」 は一年戦争後の世界
物語は宇宙正規0079年(初代ガンダム一年戦争)から宇宙正規0087年(機動戦士Zガンダム)間の出来事になり外伝的な物語とはいっても後のZガンダムに続くストーリーがしっかりと描かれています。
一年戦争で敗れたジオン、その残党が終結し再び連邦に挑み、そして再び散って行くといった流れが大筋になりますが、基本的には特攻精神が色濃い内容となっていることからも政治色が強いと考えています。
それゆえ見る側にとっての意見が分かれるところも多く、キャラクターへの評価とは別に組織への評価も考えさせられる内容….
話が少々飛びますが機動戦士ガンダムUCにおけるフルフロンタルのセリフ
「我々はそちらの定義するところのテロリストだ」
このようなセリフから考えさせられる政治的背景を思い出せる物語も0083の魅力の一つと思っています。
ジオン残党が戦う理由
連邦側は戦勝国という立場、歯向かって来る存在はジオンの残党…
まあ連邦としてはジオンのように独立戦争を仕掛けてくる存在がいるわけではないので軍も緩んでいます、言うなれば平時。
そんな中、秘密裏の任務を遂行すべく地球の連邦の基地に向かう男… そう、ネットで一度ぐらいは聞いた事があるだろう「アナベル・ガトー」です。
ガトーの任務は連邦の試作機であるガンダムサイサリスを奪取し、宇宙の本部に持ち帰る事。
それもこれも戦う理由を実行するにはガンダムサイサリスを手に入れる事が不可欠であるが故、どうしても手に入れなければならないガンダムです。
そんなガトーの戦う理由… かなり複雑です。
- ガトーの上司たるデラーズ閣下の志のため
- 再びジオンの理想を掲げるため
- 一年戦争でやられた仲間たちの恨みを晴らすため
他にも細かい理由があるでしょうが大まかな理由はこの辺です。
それとは別にガトー個人の志が垣間見えるセリフもあります。
「私は義によって立っているからな」
これがとても怖いセリフ… ガトーが言うところの義とはガトーが考える正義とも思える部分ではないでしょうか。
一度このような考えになった人間を止める事はあり余るマネーを与えても不可能でしょう。
最終的な作戦目標
コロニーを地球に落とす事が最終目標になります…つまり一年戦争の冒頭シーンで描かれるアレですよね、実際にあんな巨大な物が地球に落下したら大惨事で済まないと思う部分もありますが、そこはアニメという事で。
では物語に出てくる星の屑作戦とは…?
..ってこの解釈がまた難しい。
私の解釈ではコロニー落としまで含んだ全作戦を星の屑作戦と考えており、「ソロモンよ私は帰ってきた」は陽動作戦及び連邦の艦隊戦力を一時的に弱めるようなものだったのではないか?と考えています。
また「ソロモンよ私は帰ってきた」のやり口や成果が現代で考えられるテロリズムに近い考え方とも受け取れます。

このモビルスーツ(RX-78GP02A ガンダムGP02A サイサリス)は連邦が開発した核攻撃可能なモビルスーツとなっており、その破壊力はいくらなんでもやりすぎだろうと言わんばかりのモノです。
上の画像は私が作ったサイサリスで外遊びをしたときの画像。
サイサリスに搭載されているアトミックバズーカー、これが核ビーム攻撃みたいな感じでして一発の発射で連邦の艦隊を50ぐらい木っ端みじんに吹き飛ばすような威力です。
実際にアニメで連邦の艦艇がどれぐらいやられたか不明ですが、 式典に集まった艦艇を根こそぎ破壊する威力は規格外と言えるでしょう。
そんなアトミックバズーカーの発射スイッチを押せる男…
それがパイトッロであるガトーです。
有名なセリフ『ソロモンよ私は帰ってきた』
ソロモンとは一年戦争時にジオンが使っていた宇宙要塞であり、元は小惑星だったものをジオンが手を加えて要塞にしたものです。
以降の作品ではコンペイトウと呼ばれる事もあるので色々と混乱はします。
一年戦争後のソロモンは連邦の支配下に置かれている状態、そこに集まった艦艇にサイサリスのアトミックバズーカーを打ちはなつのがガトーです。
発射の際にはなつセリフが「ソロモンよ私は帰ってきた」となるわけでアニメ0083における見どころの一つとなっています。
ガトーとしてはサイサリスをソロモンに持ち込み、さらにアトミックバズーカーを打ち込む為にそれなりの仲間の犠牲があります。
地球にあるサイサリスを奪取する際の仲間の犠牲、宇宙に運び出す際の仲間の犠牲…
この仲間達は星の屑作戦の全貌を知らないままガトーを宇宙へ連れて行こうと命を捨てていきます。また散ってゆく彼らが良い感じのオッサンばかりなんですよね…
まさにガトーはジオン残党の希望なのでしょう、多大なる犠牲の元にガトーは生かされておりそれはセリフの中でも表現されています。
「私は多くの犠牲の上に立っているのではないか…」
このような心境の人間が強烈な破壊力を持つ武器を手にするという事、物語で星の屑作戦は成功しますが、仮に作戦困難であったとしてもガトーが途中で止めるとは到底思えません。
現実世界で考えると怖いものがありますね。
また発射前に 「星の屑作戦成就のために」と言いながらもその前に「多くの英霊が無駄死にでなかったことの、証のために」と発言する辺りから目的のための手段にガトーなりの義が大いに加わっている….
そして発射の際のガトーはアトミックバズーカー発射を躊躇う様子が微塵もない….
こんな部分からもテロリズムを感じてしまう方も多いのではないでしょうか。
ただ0083を始めて見た時は若かった事もあり、また9.11前という事もあったのでここまでの考えには及びませんでした。
やはり9.11からテロとの戦いが始まって以降、ガトーに対する評価が変わった方が多いと考えています。
嫉妬が人を動かす
0083はジオンの残党を良く見せる構成となっているので連邦側がどうしても悪く見えます。実際に後のZガンダムにおける連邦側の非道な指揮官バスク・オムは0083においても友軍がそこにいるにも関わらず強力なビーム(ソーラーシステム)で味方もろとも吹き飛ばそうとします。
加えてガトーを追う連邦の部隊、0083の主人公であるコウ・ウラキが嫉妬深い男というのも連邦が良く見えない原因でしょう。
ガトーは自分の義があるにせよ作戦成功を目標に0083時代を駆け巡るのですが、ウラキはガトーに対する嫉妬心が戦いを継続させる源泉のように思えます。
さらに物語の終盤でウラキが好きになってしまった女性がガトーの元彼女という事も発覚、ああなってしまってはデラーズの作戦を止めるといった目標よりもガトー憎し、ガトーを倒すといった手段が目標になっているようにしか思えません。
※作品では一話で元彼女が元彼氏の顔を完全に忘れているという後の物語の整合性を狂わすシーンがあります。ここだけはもの凄く突っ込みたくなりますが、名作アニメという事で勘弁してやってください。
常に先を進むガトー、それを追いかけるウラキ….
嫉妬心の一言で語れる世界観ではないですが、あの嫉妬心がなければガトーはもっと楽に作戦を遂行し、かつコロニー落とし成功後も生き延びる事が出来たのではないか?と考えています。
特攻であったか否か
ガンダム全般に言える事ですが、指揮官が最前線に立ち現場から指令を出す… これはキャラクターをカッコよく見せる方法の鉄板なのでしょう、ガトーは常に最前線で指揮をとり、突破してゆきます。
そんなガトーもコロニー落としの成功を確信すると最後はデラーズを支持してくれる存在アクシズ艦隊へたどりつけばミッションコンプリート。
しかしアクシズ艦隊の前には連邦の艦艇が… というよりもコロニーを落とす事だけに専念していた部隊は連邦に完全に囲まれている状態です。
つまり連邦に囲まれた状態を突破し、アクシズ艦隊にたどり着くしか生きのびる方法はない。
そんな中でのやりとり…
「デラーズフリート残存部隊に告ぐ、 もはや君たちに戻るべき場所はない。すみやかに降伏せよ、君たちには既に戦闘力と呼べるものがないことを承知している。 無駄死にはするな」
実際にガトー率いる部隊はボロボロの状態、ここでの指揮官の発言が作戦は特攻であったか否か?が分かるところでしょう。
この連邦の呼びかけに対するガトーのセリフ…
「いいか、一人でも突破し、アクシズ艦隊へ辿り着くのだ。我々の真実の闘いを後の世に伝えるために」
とても難しい判断です。
結果的にガトー及び部隊は全滅しますが、最後にガトーは生き残れと指示を出しているわけです。
ただしその方法は降伏するのではなく戦って突破しろという指示、しかもどうやっても突破不可能な状態による指示…
私はコレを特攻と考えています。
実際に突破する事が不可能な状態はその場の全員が理解していた事でしょう、
しかしあえてそのような指示とその意味を発言するとなればガトーが考える真実の戦いをアクシズ艦隊及びその場を取り囲む連邦側にも見せるといった意味合いだったのでは?と考えています。
つまり自分達が正しい。
それは誰に何と言われようが正しい、そのためには死をも伴わないといった究極の手段です。
このような行為の受け止め方が人によって異なるはずで、危険な思想ともとれます。
0083を見てみないか?
こんな作品レビューをしてしまったらロボットアニメとして見れなくなってしまうかもしれません、そこは本当にゴメンナサイ。
ただ現代のテロリズムを考えるにあたってアニメといった創作からここまで考える事が出来る作品は珍しいはずです。
だからこそ「ソロモンよ私は帰ってきた」の文字をネットで目にしてきたはずであり、この作品の影響力は発表から20年経った現在もそれなりにあると思っています。
0083についてはまだまだ書きたい事が山ほどありますが、政治的主張が強くなるのでこの辺で止めておきましょう。
コメント